天然水の水割り

共感と批判と肯定と否定と受容を求めて綴ります。

アメリカ横断、中学生は悪くないんじゃないかな

こんにちは。みさきです。最近ツイッターで某中学生がヒッチハイクで単独アメリカ横断をしていたのが話題になっていますよね。はじめは小さなコミュニティで声援を受けていたのですが、彼のツイートが拡散されるにつれ次第に批判が浴びせられるようになっていきました。結局のところ彼は保護されアメリカ横断は失敗に終わりましたが、大きな波紋を呼ぶような出来事でした。本来こういった類の問題についてはあまり言及しない質なんですが、僕も彼のツイートは話題になる前からチェックしていて多少気に掛けていました。なので今回は「この問題、結局誰が悪いの?」を含めた僕なりの見解をまとめさせていただきます。

 

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そもそもこの中学生はアメリカ横断の前にも日本国内をヒッチハイクしたり、SNS上で著名な旅人との写真をツイッターに載せたりする等、一部の旅界隈では有名でした。なのでこの企画をやろうとしているのを知った時も「ああ、またこの子ね。」とすぐに納得し、否定的な考えは思い浮かびませんでした。僕自身も日本でヒッチハイク経験があり、周りにオーストラリアでのヒッチハイク経験者もいたので「中学生がヒッチハイクで単独アメリカ横断すること」がそれほど危険だと思いませんでした。事実その子のリプ欄も応援や励ましで溢れていたし、批判の声は全くと言っていいほどありませんでした。

 

しかし、この企画に懐疑的な方々がこのツイートを拡散し、それを見た方がまた拡散して。。。といった具合にツイッターでよくあるお祭り騒ぎになりました。アメリカ人やアメリカ在住経験者からは等しく「お前はバカか。今すぐやめるべきだ。」と呼びかけられ、叩く対象を見つけたツイッタラーがニヤニヤして叩くなどが起こった末、これを知ったアメリカ在住の日本人が裏で動いてくれてこの中学生はアメリカ国内で保護されました。

 

これは僕のTLに限った話なのかもしれませんが、

「やるか、やらないか。やったもん勝ち」

「やったことないやつにギャーギャー言われる筋合いはない」

こんなフレーズがよく流れてきます。人は経験でしか語れないし、賢者は歴史に学ぶものですが、この「ギャーギャー」って自分のことを肯定されることも含まれていると思うんですよ。

 

つまり、この中学生の場合、アメリカ横断をするなら

 

✕ アメリカのヒッチハイク事情をよく知らない人からの声援を力にする

〇 アメリカ人、アメリカ在住経験者に一度意見を聞く

 

ということです。ただし、今回の場合は実際にアメリカで泊めてくれたうえにヒッチハイクの後押しをしてくれたアメリカ在住の日本人がいたため中学生がこの挑戦を辞められなかったのは必然のことでしょう。「その物事の経験者のうち、マジョリティの側の意見」に耳を傾けるべきなんです。批判を買わないためには。

 

まとめ

 

ごちゃごちゃ書きましたが、ここだけ読んで貰えれば本望です。

僕の考えをまとめると、

  • この中学生に非はない。親、海外を知るうえで携わってきた人々、ツイッター上での無責任な声援などといった「周りの環境のせい」だ。
  • なにかを始めるとき、一度立ち止まって「その物事の経験者のうち、マジョリティの側の意見」に耳を傾けるべきだ。
  • 自分に経験がないことを相手がやろうとしているとき、否定も肯定もするべきじゃない。「言葉にする=責任が伴う」なので、まあいいんじゃね、と相手がわかるぐらい適当に流すくらいでよい。

 

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あなたの生き辛さはHSPが原因かも。HSPとは?

こんにちは、みさきです。突然ですが皆さん、HSPって知ってますか?HSPは「Highly sensitive person」の略であり、端的に言えば身の周りのことに人一倍敏感な特性を持つ人のことです。馴染みのない言葉に思われるかもしれませんが、実際5人に1人がHSPだとされています。僕自身もHSPで、これが原因で様々な悩みを昔から抱えています。今後HSPの視点からも記事を書こうと思い立ったので、今回は皆さんにHSPについて知って頂くような内容にしました。日頃から生き辛さを感じている方、また周りでそんなことを嘆いている方、もしかしたらHSPが原因かもしれません。そういった方々にとって、この記事が生きていくうえで一助になれば幸いです。

 

HSPってなに?

 

まずはじめに、HSPとはどのようなものなのかをウィキペディアを参考に噛み砕いて説明しましょう。ウィキによると、

 

ハイリー・センシティブ・パーソン(英Highly sensitive person, HSP)とは、生得的な特性として、高度な感覚処理感受性(あるいは、カール・ユングの造語で言えば生得的感受性)を持つ人のこと。共通して見られる特徴として、大きな音、眩しい光・蛍光灯、強い匂いのような刺激に対して敏感であることが挙げられる。HSPはしばしば、豊かで複雑な内的生活を送っているという自覚をもっている。物事に対して容易に驚き、短い時間にたくさんのことを成し遂げるよう要求されると混乱するという性質を持つ。エレイン・N・アーロンや他の研究者によると、HSPは人口の約五分の一を占めるという(男女によって偏りは見られない)。HSPは感覚データを通常よりはるかに深く、かつ徹底的に処理しているが、それは神経システムにおける生物学的な差異によるものだという。この特異な性質が発見されたことは、ある種の人々を見る目が大きく変わるという決定的な帰結をもたらす。つまり、生得的なシャイさ、社交不安障害、社会的抑制、社会恐怖症、生得的恐怖症、あるいは内向性などとHSPはしばしば混同されてきたが、それらとは一線を画する性質だということである。

               引用元:ハイリー・センシティブ・パーソン - Wikipedia

 

 小難しいと感じた方もいると思うので僕の言葉で説明します。

 

HSPを考案したアーロン博士によると、HSPは後天的に身に付くものではなく生まれ持ったものです。なので生かし、活かすことはできても殺すことは難しいのです。周囲に敏感で、1つ1つの思考が深いため一度に多くのことを要求されるとパンクしてしまいます。5人に1人という少数派なので社会に馴染みにくく、自分を殺すにも殺せない。このせいで生き辛さを感じているHSPの方が多いと思います。あなたの周りにもいませんか?「あの人はよく考える人だよね」って言われがちな人。そしてそういう人って、友達といると周囲の「楽しければいい」を押し付けられて辛くなっちゃうんです。そんなシンプルに考えることができないから。

 

そして面白いのが、同じ生まれ持った特性でもHSPは「HSPとして唯一無二の特性である」ということです。シャイとも、社交不安障害とも、コミュニケーション障害とも、ADHDとも違います。ですがHSPが考案されたあともしばしば先に挙げたようなものと混同されがちです。自分がHSPかどうか判断しづらいので億劫になってしまい、なかなかHSPのコミュニティに入れません。もちろんそれは小さな悩みで気軽に尋ねればよいのですが、まだ判断がついていないHSPの方からすれば尋ねるという行為がエネルギーを使うことであり、踏み切れないものです。なんかHSPって面倒くさい人だなって思われた方もいるでしょう。人はときどきマイノリティであることを求めますが、慣れ切ったマジョリティに属しているとハミ出た者に愛を向けられないものです。

 

僕もHSPで苦しんでいる

 

今でこそ僕がHSPだと分かるのである程度割り切ることができますが、以前はしょっちゅう精神的に参っていました。そのほとんどが人間関係によるもので、周りは普通にできているのになんで僕にはできないんだろう、と自己肯定感はうっすいうっすいガラス張り。かつての悩みの種をいくつか書いてみましょう。

 

マルチタスクができない

社会では女性はマルチタスクが得意で、男性はマルチタスクが苦手だという認識がありますよね。実際僕も経験上それは真実だと思うんですが、問題はそこじゃなくて。一般的な男性より明らかにマルチタスクが出来ないんですよね、僕は。かねてのバイトの経験がそれを物語っています。僕の人生初バイトはチェーンの居酒屋だったのですが、まあ覚えるのが遅い。店長の優しさに甘えていたのもあったのでしょうが、自分から教えて下さいと言わなかったんですね。言わなかったし言えなかった。なので一年遅れで入ってきた後輩に半年後には抜かれていた、なんてこともありました。さすがにこれはダメですけどね笑

ワーホリに来てからもそうです。今のバイト先もそこそこ忙しくなるのですが、テーブルが段々と埋まっていくにつれて情報過多になり、あるときパンクしちゃって何をすれば良いのか分からなくなります。心の中でプシューってはじけます。回数を重ねるに従ってその許容量は増えるのですが、しょっちゅうパンクして怒られています。

たぶん、飲食のバイトは向いていないんでしょうね。

 

・集団行動が苦手

これは本格的に諦めはじめています。僕はひとつひとつを深く思考するので会話のペースが常にゆったりとしています。なので僕にとっては返答に時間を使っているだけなので沈黙に感じていなくとも、相手からは沈黙だと解釈されるケースがままあります。これがサシなら全然良い、むしろそんな時間が大好きなんですが、人が増えると感覚の処理が追い付けなくなります。みんなの発するエネルギーに耐え切れなくなり、これまたパンクしてしまうのです。あの人がなんか言った、なんて返そうかな、なんて考えているうちに次の話題に移ってしまい、だんだんと情報過多に。こうなると何も話したくなくなり、孤独を感じ、そんな自分に嫌気が指します。なので大人数で何かするのは、旅やゲームなどよっぽど好きなものじゃないと断るように心掛けています。

1人か2人でいるのが好きですね、僕は。

 

自分がHSPだと判断するには

 

ここまで読んできて「わたしHSPかも」と思った方もいらっしゃるでしょう。実はアーロン博士、HSPの4つの属性として「DOSE」を定義しています。それぞれの頭文字を並べたものです。そして以下に挙げる4つの属性、全て当てはまっていて初めてHSPです。1つでも違っていたらあなたはHSPではありません。

 

  • 処理の深さ(Depth of processing)
  • (他の人と比較して容易に起きる)過度な興奮(Over aroused)
  • 感情的反応性・高度な共感性(Emotional reactivity and high empathy)
  • 些細な刺激に対する感受性(Sensitivity to subtle stimuli)

 

そしてこれらの属性をうまく具体化したものがウィキにあるので引用します。

 

HSPである学生は、他の人々とは異なる仕方で学習する。HSPは些細で細かい部分に注目し、それについて長時間考えを巡らせるが、学習課題に対する理解を示すまでには時間がかかる。もしHSP学生が授業内の議論に貢献していないとしても、必ずしもその学生は理解していないとか、シャイであるとは限らない。HSPはしばしば、一般的な見解とは異なる洞察を抱くが、それを披露することは恐れる。なぜなら、口に出してしまうことは自らにとって刺激が大きすぎるからである。同様のことは職場にも当てはまる。HSPは素晴らしい働き手になりうる。細部をよく見ており、思慮に富み、また忠実であるからだ。HSPが一番活躍するのは、静かで落ち着いた環境が整っているときであることが多いHSPは監視されていると力を発揮できないため、昇進から漏れることもある。HSPは社交性が乏しい傾向にあり、自分ひとりで処理できる経験を好む傾向にある。無意識的あるいは半無意識的に環境内の些細な事柄を処理できる能力から、しばしばHSPは「ギフテッド」や「第六感」を持っているように見えることもある。

               引用元:ハイリー・センシティブ・パーソン - Wikipedia

 

僕の場合、ここに書かれているものがすごく当てはまるんですよね。周りと異なる洞察をしても口に出さないとか、監視されていると力を発揮できないとか。自分がマイナスだと思っていたものが 第六感なんて言われたら嬉しくなりますよね。そしてそんな人が大勢いることにも安心します。

 

さて、4つの属性「DOSE」だけでは抽象化されすぎていてよく分からない、という方もいるでしょう。そこで僕のツイートで紹介しているこちらのサイトを利用することもおすすめします。

ちなみに僕は82点で「中HSP」でした。まあそんなものか、という感じですね。こちらのサイトはあくまで一つの指標として利用しましょう。

 

 

 

いかがでしたでしょうか?僕は半年ほど前にHSPというものを知り、生き辛さの正体が分かった気がして少し楽になりました。もしあなたが生き辛いと感じていたら、それはHSPが原因かもしれません。そんな方がいたら、HSPの1人として僕は寄り添ってあげたいです。あなたやあなたの友達が少しでも楽になれるように、僕はこれからHSPについて発信していくとともに、自分の思考とHSPの繋がりについて考えていきます。

 

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「世界のエリートはなぜ『美意識』を鍛えるのか」を読んで               

 ファッションから読み解く美意識

 
1. はじめに
 
これはどこの大学でも一定数いると思うのだが、大学生になって海外に興味を持ち始め旅行する人が存在する。かくいう私もその一人であり、自身の経験に基づいて説明するとこういうことをする人たちは高校卒業まで親の敷いたレールのうえで生きてきた人が大半である。ほかに大して考えることもなく勉強だけをしてきて大学に合格し、いざ大学生になってみるといままで自分たちを縛っていた親やルールといった周りの影響は薄くなり、自分と向き合う時間が増える。そこで自分のこれまで生きて学んできたものに対し疑問を覚え、井の中から逃げ出すために海外へ行く、という道を辿るのだ。まあ一週間やそこらの旅行から得る経験で人が変われると考えるのもおかしな話であるが。
 さて、今回の課題図書では「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」という筆者の問いに対して答えが大きく三つ述べられている。論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつあること、世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつあるということ、システムの変化にルールの制定が追い付かない状況が発生しているということ、の三つだ。このうち三つ目の答えに対し筆者は美意識を持つということと自分の所属するコミュニティーに定められている狭い掟を見破れるような異文化体験をすることが大切である、と述べている(山口周、2017、1章)。私が冒頭であげた話はこの「異文化体験」であり、これをする大学生は美意識を鍛えようともがいているともとれる。いずれにせよ筆者の考えに則ると、企業のエリートと呼ばれる人たちに今後必要になってくるスキルと一定数存在する類の大学生には共通するものがあり、ゆえに我々大学生はこのエリートである人の美意識について知ることも大切になるのかもしれない。
 
2. ZOZOTOWNと「ワクワク」
 
 美意識がビジネスの世界でなぜ重要になってくるのか、筆者が挙げている一つ目の答えは「論理的・理性的な情報処理スキルの限界」である。経営における意思決定の方法としてはいくつかのアプローチがあり、それは論理、直感、理性、感性である。直感と感性については我々日本人にとってはビジネスとあまり馴染みがないフレーズであり、実際日本企業のほとんどは論理と理性をその意思決定に用いてきた。それは日本人がビジネスにおいて論理的であり直感的であることをより高く評価する傾向があるからである(山口周、2017、1章)。たしかに普段の会話でもなにかチャレンジしようとするときには直感や感性で判断しようとするとほかの人に虐げられる場合は多々ある。無論筆者の言うようにただ単に直感に頼るのではなく、論理や理性で考えてもシロかクロか判断がつかない場合に直感を頼りにしたほうがいいということであるが。
 論理と理性に頼る問題点については「時間」と「差別化の喪失」の二種類が挙げられている。前者はビジネスの世界において問題を構成する因子が増加し、かつその関係が同的に変化するなかでは論理と理性のみに頼って答えを見出そうとすると経営における意思決定の膠着と、その結果としてのビジネスの停滞がおこるというものである。後者は論理的かつ理性的に意思決定をすることに対し皆が同じ方法で戦うため消耗戦をするような現状が起こっている、というものである。筆者はここで意思決定のバランスをミンツバーグの言葉を用いてアート、クラフト、サイエンスの三つの組み合わせから分析している。これまで成長してきた企業は強烈なビジョンを掲げアートで牽引するトップの脇をサイエンスやクラフトで強みを持つひとが支える。ここでいうビジョンとは自分の美意識に則ったものであり、人をワクワクさせるようなものである、と。私はこのようなアートを重視した企業についてスタートトゥデイが運営するファッションのECサイトであるZOZOTOWNの事例をもとに考察していきたい。ファッションのECサイトを扱うZOZOTOWNは百貨店やアパレルの不況がうたわれる現在年間670万人以上に利用され業績は上場してから10期連続で増えている。営業利益ではすでに三越伊勢丹ホールディングスを超えるまでになっている。本来なら服は試着してから購入されるものでありファッションとECは成功しないと言われていたうえに、ZOZOTOWNは価格も高めに設定されている。筆者の言葉を使えば通販では安売りや客の囲い込みがクラフトになるがZOZOTOWNはここに「格好良さ」というアートを持ち込んだ。ブランドの世界観をいかに消費者に伝えるかを徹底してサイトデザインなどをこだわりまくり、規模が拡大してもその格好良さを保つために、取り扱う商品の選別に気を遣うことで感度の高い若者の心をつかんだ。これによってZOZOTOWNで買い物をした人の平均購入額は約4万となっており、客単価も高い。
「要するにZOZOTOWNというブランドそのものが、消費者の憧れを誘うキラキラした価値観を発している。そのキラキラ感を損なわぬよう、みごとな手綱さばきをみせているのが前澤CEOだ。前澤氏は顧客との関係を友達であり、仲間であり、パートナーである、と表現する。彼の中では、企業と顧客は当然のごとく対等なのだ。(※1)
前澤氏にとって本来の目的は世界平和と愛を大切にすることであり、人の役に立ちお互い幸せになりながら楽しんで働くのが第一である。そのため顧客に対してはZOZOTOWNのサイト上で誰かへの「ありがとう」を自由に投稿や閲覧をできるサービスを提供することで顧客と友達関係のような距離に近づくことが可能になっている。社員に対しても基本給とボーナスを従業員一律にし、どれだけ働いてもサボっても、同じ給料がもらえるという給与制度がある環境を提供している。これは給料一律にし、社内競争を排除することで、社員に顧客のことを考える時間を増やすという社長の想いからきている。また、一日の労働時間を6時間にするという取り組みもしている。
「6時間労働は、社員に勤務時間以外の時間をより豊かに活用してもらうことが狙いである。もちろんこれには社員が自分のしている仕事の密度を濃くしなければなりません。仕事に集中して取り組むからこそプライベートをしっかり確保でき、仕事もプライベートも楽しむことで精神的な充足感を得られ、仕事でおもしろいアウトプットが生まれやすくなる、といった好循環が期待できる藤野英人、2013、p44-45)。」
ここまでZOZOTOWNをみてきて、感性から生まれる「ワクワク」を顧客だけでなく社員にも体験させるために社長自身がアートを様々な面で持ち込んでいると感じる。そしてそれは顧客が誰かに感謝を伝えられるような場の提供であったり、社員どうしでギスギスせず楽しむような環境づくりといった美意識に則ったものであると考える。事実、前澤氏はアート作品へのお金のつぎ込み方も尋常ではなく、現代美術にとどまらず茶道具、モダン家具のコレクターであるなど自分の感性に合う美術品を掘り下げ常に美意識を鍛えているような人物だ。要するにアートで牽引するトップがいることでビジョンから「ワクワク」が生まれ、それは顧客や社員など会社の内外に伝染するのだろう。
 
3. ルイヴィトンの「記号」
 
筆者が挙げている二つ目の答えは「巨大な自己実現欲求の市場の登場」である。ここでは美意識についてマーケティング的な側面から考察されている。市場のライフサイクルの変化に伴い消費者が求めるベネフィットも最終的には自己実現的便益へ変わっていき、消費の記号化が起こる。これは「全ての消費されるモノやサービスはファッション的側面で競争せざるを得ない(山口周、2017、2章)。」ということである。これはつまり言語化が可能なものは全てコピーできるという現状の中で、イノベーションの先に何を求めるかということであり、筆者はこれに対しアップル社を例に挙げて「ストーリーと世界観」と言っている。この二つには企業の美意識がダイレクトに反映されるのであるから、その美意識には高水準が求められる。私はこの考えに対してルイヴィトンをもとに考察していきたい。日本人の五人に一人が持っていると言われているルイヴィトンは、そのロイヤリティーを顧客に提供することで「あの人はああいう人なのだ。」と消費の記号化に繋げている。セレクティブ・マーケティングと呼ばれる、生産量が限られた高級品を売るのに特化したマーケティング手法をとっているヴィトンは、その高級感を維持するためにバーゲンセールをしないことで購入した顧客に対して値下がりをしないという安心感を与える。また、テレビCMを行わないことによってチープさを出さないようにしている。また、「顧客の信頼を勝ち取り、ルイヴィトンのブランド力に安定感を与えるサービスとして名高いのはリペアサービスである。(長沢伸也、2007、p6)」これはつまりよいものを長く使えるという認識を与えることで安心感を与え顧客離れを防ぐような効果がある。つまり、ヴィトンはそのロイヤリティーを顧客に認識させるための徹底したマーケティングにより消費の記号化を可能にしているのだ。美意識の観点から言うとブランドごとのデザイナーの感性や販売員におもてなしの心などの人的資源を結集させることで顧客に買い物の楽しさを提供している。ゆえに私は美意識に則った世界観やストーリーの構築にはやはりマーケティングやアフターサービスなどのクラフト的な側面も必要などではないかと考えた。そしてそれがコピー化された製品との差別化に繋がるのではないだろうか。
 
4. ZARA自然法的思考
 
そして最後、三つ目の答えは「システムの変化にルールが追い付かない」ということである。昨今、DeNAをはじめとしたネットベンチャーが社会問題を発生させる経緯としては、実定法主義に基づいた意思決定によって「開始の判断=経済性、廃止の判断=外部からの圧力(山口周、2017、3章)」という構造になっているため、美意識のような内部的な規範が機能していない、ということが挙げられる。これは「法令不遡及の原則」がありながらもシステムの急激な変化に対する法の整備が追い付いていないためか、後出しジャンケンで違法とされてしまうケースが多々あるからである。このような現状がある以上、実定法主義とは反対の考え方である自然法的な考え方が重要になってくる。言い換えれば「美意識」の基準に基づいたものでなければならない、ということになる。ここで筆者は「好業績を継続的に上げている企業には、社是としてこのような美意識を掲げている企業が、少なくない(山口周、2017、3章)。」と言っており、これについて考察してみる。これについて私が注目したのはZARAとその創業者アマンシオ・オルテガである。彼はZARAを立ち上げてから40年後の現在、資産679ドルを所有して、フォーブスの長者番付4位にランキングしている。ZARAは生産と販売を一貫させた生産直販ファストファッションというイノベーションを生み出し急成長していった。そんなアマンシオ・オルテガが掲げている販売哲学は引用させてもらうと
 「店員はいつも優しい視線を持っていること。レジではいつも笑顔で対応すること。手には常にボールペンを持っていること。※2
などとなっており、さらに経営について重視することについても、常に道理にかなったことに基づいて決定すべきことや人を指揮することよりも手助けするべきだ、などとしている。これこそまさに筆者の言う「自然法的」な考え方に則った経営ではないだろうか。もちろん外部性を伴うが、その販売哲学や経営理念は創業者の美意識に基づいた内部的なものである。
 
5. おわりに
 ここまで筆者の考え方を成功事例をもとに考察すると、美意識を鍛えることはやはり今の時代に必要とされているのではないだろうか。しかし、やがてそれも鍛えられた美意識としてクラフト化される懸念があり、ただでさえ遅れをとっている日本はまた別の方法も考えつつ美意識を鍛えなくてはならないと私は考える。
 
6. 参考
山口周(2017)『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』光文社新書
長沢伸也(2007)『ルイ・ヴィトンの法則』東洋経済新報社
藤野英人(2013)『5700人の社長と会ったカリスマファンドマネージャーが明かす儲かる会社、つぶれる会社の法則』ダイヤモンド社
※1 PRESIDENT Online「なぜ、試着できないゾゾタウンで服が売れるか」
   http://president.jp/articles/-/1095、2017年12月24日アクセス可能
※2 HARBOR BUSINESS Online「ファスト・ファッションの王、ZARA・アマンシオ・オルテガの経営哲学」
   https://hbol.jp/42523?display=b、2017年12月24日アクセス可能
 
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ワーホリ中のエアビー選びで大失敗した件②

こんにちは!みさきです。ちょっと間が空いちゃったんですけど、この記事は一つ目の続きになるんで読まれてない方は是非こちらに目を通してみてくださいっ

 

misakessay.hatenablog.com

 

オーナーが早速かましてくる

さて、バッパー退去二日前になってエアビーで住居を確保した我々。安心とワクワクも束の間、この物件のオーナーからメッセージが送られてきます。

 

オーナー 「スマソ。追加料金を払わなくていいから俺が持ってる別の物件に変えて欲しいんだ」

ワイ一行 「えっ?なんでや」

オーナー 「君たちが予約した物件、実はベッドが2つしかないんだ。君らは4人だろ?こっちの物件なら人数分のベッドがあるから悠々寝れるんだ。あとはわかるな?」

ワイ一行 「えーーーーーーー。だっるうううううううう。」

 

このあとすぐに変更先の物件の写真と情報が載ったフォームがオーナーから送られてきて、はやくオッケーを出してくれ、と催促され続けました。フォームに書かれた情報を見てみるとたしかに4人でしっかり寝れそうだし、シティまでの距離も15分と変わらないし、全部で6人住むことができるシェアハウスって書いてあったんだったかな、まあ家全体で考えても窮屈じゃなさそうだし、写真も清潔そうでした。

 

ここで一旦エアビーに電話して「このオーナー大丈夫なん?」って聞いてもよかったんですけど、今まで散々エアビーには時間を取られてきたし、そのせいで4人がギクシャクしたこともあったのでここはもう素直に従おうってことになりました。この結論を出してオーナーに伝えたのがバッパー退去前日だったかな?ほんっとに。いっつもギリギリでよくなーい。情報社会、大変ですね。

 

新居とうちゃーく!

さ、いよいよ入居当日なんですが、つまるところ4人で一か月時間を過ごしたバッパーの退去日でもあるわけで。ここにはそれなりに思い出がつまってるんで、別の機会にでも書けたらなあー、って思います。

 

えいっ!新居到着!はやいもんですね、もう到着って書けちゃうんだから。過去の素敵な点って、頭のなかで好きなように過去全体を行ったり来たりできちゃうところだと思うんです。小説のページを好きなところに巻き戻してそこから読み始められるように、過去も好きなふうに旅行できるんです。

 

まずは新居のドアを開ける前に感じたこと

 

  • 閑静な住宅街
  • 想像より綺麗な平屋の一軒家
  • 最寄り駅まで徒歩5分くらい
  • バッパーより星が見えそう

 

うん、いい感じ!日本で田舎育ちの僕には落ち着きさえくれそうな立地です。僕思うんですけど、「帰ってきた感」のある所に家があるってとっても素敵じゃないですか?働き先がごちゃごちゃした都会なら、帰宅するのは時間がゆっくりと流れてくれそうなプチ田舎。最寄り駅で降りた後は、暖色系の灯りが見える住宅地のあいだを子供の笑い声や夜ご飯のにおいを時折感じながら家まで歩く。んー、書いてて思ったけどやっぱりそうでもないかも?

 

おそるおそるドアを開けてみると......

 

  • ユニットバスが2つ
  • テレビ、冷蔵冷凍車などバッパーになかったものも当然ある
  • 庭にはウッドデッキと大小のソファー
  • ベッドルームが4部屋ぐらいある

 

ほーーーーん、まあまあやな。初見さんとしてはまあまあやな。ウッドデッキのソファーに腰掛けながら吸う煙草が美味そうだね。キャンプ場のテント脇で、焚き火を囲んで友人達と語りながら味わう煙草ぐらいは美味そうだね。なんて考えていたら、

 

謎の女性 「ハロー!ハワイユー!」

 

ショータイムの始まりDA☆

                                     続く

 

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メルボルンのスタバ・フラペチーノ半額!!!

 なんてったってね、オーストラリアに来て以降ストレスは溜まるし、自己肯定感は下がりっぱなしなんですよ。メンヘラなりに言うと「マヂ無理。。。リスカしよ。。」ってところでしょうか。。え?なんでかって?原因はナンバーワンにしてオンリーワン、ラーメン二郎がないんだよおおおおおおおおお!!!

 

僕もいっぱしのジロリアンやらせてもらってまして、二郎・二郎系いったときにゃ必ずパシャリと1枚撮って「スタバなう」ってメッセージ添えてインスタのストーリーにあげてるんですよ。いや、面白くないとかインスタをバカにしてるとかは置いときましょう。無視しましょう。だってメリットがたくさんあるんだもん。これをすることで日頃のストレス解消としょーもないことで失ってきた自己肯定感を取り戻せるんですよ。言うまでもなく美味しいしね。

 

ちなみになんで「スタバなう」ってメッセージを添えるのか、これ2chTwitterで見たんですけど、スタバのなんとかフラペチーノと二郎系ラーメン一杯あたりのカロリーが一緒、っていう説。カロリーが一緒なら二郎食べたほういいじゃん。絶対そうじゃーーん。これは完全に偏見なんですけど、いわゆるスタバに行って「スタバの新作♡」なんてメッセージ添えてインスタに載せてるやつとは友達になれないんですね僕。だってそうじゃん。スタバに行ってる私可愛い!が背後霊としてしっかりついてるじゃん。なんなら背後霊に自分乗っ取られて自分が背後霊の背後霊になってるじゃん。そしてやつらスタバ投稿系キラキラインスタグラマーは義務感まで背負ってる。「スタバの新作でたっ。いかなくちゃっ。」ってな具合で。いや凄くない?君が行かなくとも誰も気にしないよ?スタバは君を待ってないよ?その義務感を肩たたき券とかの親孝行にまわそ?

 

その点二郎は最後までニンニクとアブラたっぷりなんですね。義務感じゃない。どれここのラーメンは如何ほどか、という具合にジロリアンとしてこっちが店を評価する感じ。スタバがあるからスタバ投稿系インスタグラマーが生まれたのと違って、ジロリアンがいたから二郎が生まれたんじゃないですかね。そんなことは絶対ないんですけどね。ちなみに二郎系だとラーメン二郎・仙台店がめっちゃ美味いです。オヌヌメです。

 

 

 

はい、こっから本題です。メルボルンのスタバ、期間限定でフラペチーノ全品半額キャンペーンしてます。いつやってるかというと、

 

4-5pm / 4-17 Feb

 

是非とも行ってみてください。             Fin.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さすがに終われなかったです、もうちょい書きまっす。

 

かくいう僕もスタバでフラペチーノうまいうまいって飲みながらこの記事を書いているんですね。いやあ、フラペチーノうまいですよ、抹茶の風味がたまらんです。ストーリーにももちろん載せましたよ、まあ当然ですよね。家に帰ったらまず靴を脱ぐ、ってぐらい自然なこと。

 

さて、ここで豆知識。なんでスタバで半額セールなんかやってるの?って疑問に対してなんですが、「スターバックスがオーストラリアから撤退した」からだそう。なんでもオーストラリアのコーヒー文化が独自に根付いているせいで、スタバが流行らなかったんですって。なのでスターバックスは直営権を地元企業に売却。ゆえにこういったキャンペーンとかで好き勝手できるんだと思います。はえーーーー。またひとつ賢くなっちゃったぜ。

 

しかもこのキャンペーンのいいところは、お店が全然混まないこと。僕4:30pmっていうめちゃめちゃどストライクの時間帯に行ったんですけど、ほとんど並ばず、コンセントつきのテーブルも楽勝でゲットできました。混んでないから今使ってるテーブル下でスズメもチュンチュン言ってます。きゃわいい。これが日本やったらグラマーで身動き取れなくなるでしょ、やつら一丁前にスタバインフォメーションに敏感だから、、、

 

ということで今月の17日までスタバはフラペチーノ半額でーす!ワーホリや旅行でオーストラリアにいる方、スタバ好きな方、普段はジロリアンだけど重い腰を上げようか悩んでる方、足を運んでみてはいかがでしょうか?

 

Twitterフォローもぜひ↓

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1月分のメモを公開します

こんにちは!みさきです。年越し、お正月、成人式など、イベント尽くしの1月も今日で終わりですね。私事ですが、週2でブログ投稿しようと決めてから朝活・昼活・カフェ活ってワードが身近になっちゃいましたあーー。そんでもって恵まれたことに、僕がいま生活しているメルボルンはカフェの街☕

おしゃれなカフェでブラックコーヒーを飲みながら執筆するのって自分に酔えちゃいますーーー、ああ素敵!(カフェラテを飲みながら執筆中)

 

ところでつい先日、こんなツイートをしました↓↓

 

 
僕ってよく考え事をツイートする側の人だと思うんですけど、そのほかにもメモとしてEvernoteにちょくちょく残してるんですよね。そんである程度の数になってきたら見せちゃおっかなーと。だれかのメモを見るのってすごく好きなんですよね、だから僕のフォロワーさんにも同じような人がいたら届けたいなー、って。
 
ではでは、1月分のメモをずらーーーっと貼ってこのブログを終えたいと思います。興味あったり、これおもしーな、語りたいなっていうのがあれば是非ツイッターなどでコメントくださーーーーい!
 
 
 
孤独
 
世界全体を想って孤独を感じることはない。僕の場合はもっと小さな空間での話だ。職場、複数人の友達といる時、教室...。孤独になるのを国のせいにすることはあるし、突き詰めたらそうなのかもしれないが、表面的な原因はいつだって身近にある。
 
自分の居場所
 
1人でいても辛くないのが自分の居場所だと本で読んだことがある。僕の場合はなんだ?
 
・読書
・ツイートや考え事、そしてその言語化に取り組んでいる時
 
一人旅も好きだが、出会いを求めている節があるので違うのだろう。
 
読書
 
映画も音楽も複数人で同時に楽しめるのに、本は1人じゃないとだめだ。必然的に孤独になる。だから孤独が辛くない。村上春樹が海外一人旅を例に挙げて「孤独の二重否定」を述べたが、読書もまたこれに当てはまるのだ。
 
言葉にするのは、1人のときが1番捗る。対話の中で整理しつつ考えの幅を広げるというのも素晴らしいが、言語化は1人の時間なしでは始まらない
 
ツイート
 
なんで誰かの心に刺しにいきたいの?孤独を紛らわしたいの?
 
ツイート
 
Twitterとかブログが楽なのはさ、自分語りを独り言としていくらでもできて、反応はなくとも誰かしらに見られてるっていう承認欲求も満たされて。そして読むも読まないも受け取り手の自由じゃん?こっちに責任が伴わないというか、こっちは誰に気を遣うこともなく発信し続けて、そこから先は「不特定のフォロワー」に委ねられる。
 
辞書
 
辞書に載ってる言葉の意味はどうやって選ばれてるんだ?マジョリティーの考え方か?
 
ワーホリ
 
日本に一時帰国するか否か。1回帰ったほうがよい。一旦切り替えられる。客観視できる。
 
気遣い
 
気遣いって「優しさからくるもの」と「弱さからくるもの」があるよね。後者はさ、仲良くなるにつれて傲慢さに変わっていく。
 
 
じゃあ見返りを求めないのが愛なのかって、それも違う。見返りが意識に介在した時点で傲慢であり、愛じゃない。
 
もっと自然的なこと。本能的なこと。
 
忘却
 
近道は忘れちゃう。遠回りは忘れにくい。
 
過程も記憶として残るからね。
 
面接
 
レジュメの赤い字は血を連想させるからビジネスマナー
 
髭は日本ならアウトだよ
 
Googleのアカウント名が本名じゃないのはおかしいよね
 
「俺なんか昭和の人間だからさ、」
 
そして基本喧嘩腰でうぜえ。絶対やらん。
 
考え事
 
考え事を後回しにすることがあるのってやっぱり疲れるからだよね。
 
バイト先
 
日本人家族?かな
娘「なんで必要以上に怒鳴るの?別にしなくていいじゃん!!!」
父「この歳になったら人格は固まってるよ」
 
まずこうやって子が親にダメ出しという形で気持ちをぶつけてるのが羨ましかった。んで、人格は固まらなくない?変わり続けるくない?ある程度の経験をしたら固まるの?へ?
 
上品
 
品ってどうやったらつくの、
 
お金
 
ひょんなことから1億手に入ったら周りに言う?言うならどのくらいの関係の人まで?
 
主観・客観
 
主観でプラスばっかなら客観視したときマイナスがたくさん見えて、主観でマイナスばっかなら客観視したときプラスが見える?主観と客観でプラマイゼロになる?
 
仕事
 
仕事ができないから人格否定するまでに至るのって、その人の中で仕事の存在が大きいからだよね。僕はまだ本格的に働いたことがないからその感覚が分かんないや。本格的に働くってなんだ?
 
人生を大きく分ける、例えば「仕事・家族・友人」に分けた人の場合、仕事ができなかったり、家族や友人を大切にしない人と出会ったら、その一側面をもってその人の人格否定に至るのかな。
僕だったら「友人・家族・恋愛」かなあ。そのいずれかでも嫌な人にあったら、興味が失せるのかなあ。逆に考えると、人格否定にまで至る行為や分野は僕にとって存在が大きいってことだよね。逆に考えてみたら人生を大きく分け直せるのかもしれないな。
 
バカ
 
定期的に「ああ、世の中はバカばっかだなあ」って思う。
 
興味
 
やっぱさ、ある程度は他人に興味を持たないと、人から興味を持ってもらえないよ。他人に興味がない=気を遣わない から、キャッチボールにならないんよね。ずっとボールを投げ続けてるだけで、受け止めてくれないんだもん。
 
発想
 
煙草吸ってる時、シャワー中、寝る直前に目をつぶってるときに考え事がポンポン浮かぶ。最後に関してはそのせいで寝れなくなる。
 
バイト先
 
いいとこでバイトしてるから洒落たカップルを毎回のように見れるんだけど、ほとんど男が聞き役なんよな
 
興味
 
他人に興味がない人って必然的に自己中心的になる?
 
煙草
 
女性が吸う、男絡みの煙草はエロい
 
主観・客観
 
主観的にみたら寂しいのに客観的に見たら美しく見える。客観的にみると都合よく捉えられるから?それって客観的なのに主観的みたいだね
 
友達
 
嫌いが多すぎて人格を受け付けなくなっちゃうと、その人のやることなすこと全てイラッとしちゃうんだね。世界からその人を消すしかないんだよ、だってさ、その人との思い出すら美しくないんだよ?美化にも限度があるのかもね。
 
同類嫌悪
 
ドッペルゲンガーがいたらどう思う?
 
同棲
 
外に出たときは励みになり、帰ってきたら癒しになる
 
クソ
 
「喧嘩はやめて」っていう言葉は、発した側が正義で言われた側が無条件に悪になるからクソ。しかも発する方はエゴでしかないのに。クソ。
 
非常
 
人間はなにかと均衡を保とうとするし、非情に映るのはあなたにも非があるのかもよ。
 
働くということ
 
ロボットと化して感情を失い、時間を使うことの対価としてお金を受け取る。自分の素を出したら給料という「価値」は発生しない。これは素直な人間がエゴに公共の福祉に関われないということから必然。人間が皆、掛け替えのない存在ということの裏返しではないのか。
 
 
愛とセックスは一緒なのか
 
テラハ
 
1回無理って思ったからあみの世界から消したの
 
んでも逃げるのって大事やし悪くないやん?逃げってどこまで肯定されるのかな。
 
副音声付きで見るとスタジオのフィルターも通すから入り込めん。まあスタジオ陣が天才だからおもろいけど。
 
人に興味を持った方が面白いよ。表面的な付き合いで、皆いい人に見えちゃう、人間味がない。
 
戦争
 
戦争を無くすには、両手におっぱいを持って武器を持てなくするか、童貞以外が死んでしまえばいい
 
テラハ
 
非モテが味わう絶望などイケメンは考えるはずもないから、イケメンはそれなりの対応を覚えまともに成長し、社会的な評価も高くなる。反吐が出そうだ。
 
カジノ
 
僕ってカジノ向いてない、搾取される側に回ってしまうと思う。例えば友達と行って友達が大きく買ったら羨望と嫉妬で負けず嫌いが発動するし、僕一人で負けたら途中で損切りが出来なるなるし、勝ってもどこでやめればいいか分からなくなる。金が絡むと友達とフラットに付き合うことができなくなる。カジノやパチンコに行く人ならこれは当然のことなのかもしれないが、博打は怖いなあ。
 
ワーホリ
 
毎日料理を作っている。料理スキルがあがりそうだ。三日坊主だと思ってたのに。これだけでもワーホリにきた甲斐が有る。
 
歴史
 
自分が好きなものの辿ってきた歴史を知ることには何の意味があるのか
 
煙草
 
喫煙者で話してておもしー人は、一緒に吸う煙草が美味い。吸い終わったあともだらだら話してて、2本目に手を伸ばすか悩む。
 
友人
 
自分が考えることにおいてテーマとか思考回路って変わり続けてきたから、話が合うと感じる友達のタイプも自ずと変わり続けてきたはず。でも、1度「あ、この人おもしーな。話したくなるな。」と感じ、語り、友達になったらその後自分がどう変わろうとそいつは友達で気兼ねなく話せる。小中の友達とかだいたいこれ。やっぱ出会い方なのかなあ。
 
語ること
 
語っている時間はだいたい面白く、楽しいと感じる。しかし、あとから思い出そうとしてもメモしたフレーズ以外は忘れていることがほとんど。これはたぶん、利害とかが介入することなく、語っている時間を純粋に楽しむことができているのだ。客観的に見ずに主観的になり、その空間に入り込める。語ることが好きだから。
 
 
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期待して生きていい。

最近Twitterをしていてよく見るのが「他人に期待しない」というフレーズです。多くの人は自己中心的な考えのもと「あいつに裏切られた」と被害者面するようなことが続いた結果、楽に生きれるようにとこのフレーズを自分自身に言い聞かせるように吐いている印象を受けます。何事も一万回続けると習慣化する、なんて言いますが思考も例外ではありません。僕自身も後天的に思考を変化させてきました。「他人に期待しない」ことは努力次第で限りなく100%に近づけると思いますが、本当にそれでいいのでしょうか?はじめに言っておきますが、僕の考えとしては「一定のラインを超えた人間関係を持つ人に対しては大いに期待していい」なのです。それでは掘り下げていきませう。

 

信用と期待

 

 まずはじめに「期待」について整理しておきましょう。期待とよくセットで使われる言葉が「信用」です。信用するけど期待しない、友達や恋人に対してこんな考えを持っている人が多いような気がします。実際、僕が今回のテーマを考え始めたのも、この考えに触れたからでした。この二つの言葉、逆説の接続助詞で結ばれているのがしっくりこなかったんですね。感性的な問題なんですが、『「けど」を使うべきじゃなくない?そもそも信用って何?期待って何?』とこんがらがってしまいました。

 

辞書でそれぞれの意味を調べてみると、

 

信用: 確かなものと信じて受け入れること。(出典 デジタル大辞泉

期待:あることが実現するだろうと望みをかけて待ち受けること。当てにして心待ちにすること。(出典 デジタル大辞泉

 

ここからも分かるように、明確な違いって信用や期待をされる側が「口に出すか出さないか」なんですよね。口に出したら信用、口に出さなかったら期待、という具合です。ルールに例えてみると分かりやすいと思います。信用は「約束」で、期待は「不文律」になります。そして、約束を破った側は噓つきと言われ、不文律にそぐわないことをすれば裏切り者となります。そこまで仲良くない人との時って、軽い内容でも口に出して確認しますよね?よく知らない人は裏切られる可能性が高いので、保険をかける意味でも「信用」のほうをとるのです。

これによって、逆説の接続助詞「けど」にしっくりこなかったのは「信用と期待」という1セットがすでに逆説の意味を持っているからということがお分かりいただけたでしょうか?頭痛が痛い・音速のソニックと同じニュアンスです。僕としては「信用し期待しない」のほうがまだ理解し易かったでしょう。

  

期待する=括る 

 

 最初のほうに、他人に期待しないということを100%に近づける、と表現しました。そうです、他人に期待しないなんて僕からしたら絶対的に無理です。というのも他人に期待するというその行為こそが、我々が楽に生きるための手助けになっているように感ぜられるからなんです。

 

期待の意味をおさらいしましょう。期待とは「あてにして心待ちにすること」です。ではなぜ期待できるのでしょうか。なぜあてにできるのでしょうか。それは期待する=他人を括るという行為だからであり、それが「一人一人が掛け替えのない存在である」という矛盾した前提の上で成り立つ虚飾だからです。

 

僕たちが「この人は頑固だ」「今夜語り合うこの人との時間はきっと良いものだろう」と他人を括るのって、目の前の人との会話と今までの自分の経験で得たものを照らし合わせて、ですよね。生物の進化や進歩と一緒です。楽をしたいんです。だってそうでしょう?他人を括らずに、最初から最後までを近道することなく知ろうとしたら膨大な時間とエネルギーを要します。疲れるんです。そして面白いことに、我々は経験を積むほど人を括れるようになる、即ち楽できるようになります。期待って本来楽なもので、本能的なものだと思うんです。楽をするために、疲労を回避するために、個人レベルで進化をしているのです。

  

譲れない「括り」があること

 

とはいえ、他人を括るのが早すぎる、即ち期待するのが時期尚早だと、その期待が外れ裏切られたと感じ、落ち込んでしまう可能性が高くなります。なので僕の考えは「友達未満の関係の人をなるべく括らないようにする」です。要するに心を許した相手にしか期待しない、ということなんですが、このために僕は友達作りにおいて「ここの括りに入らない人とは友達になれそうにない」という、自分にとっての譲れない括りを持っています。その括りというのが「ノリが合う」「おもしーかおもしくないか」の二つなので、どちらも当てはまれば友達、どちらかでも欠いていたら友達になれない、という感じです。なんだか人間味がないと思われたかた、僕もそう思います。けれど、いいんです。この括りに当てはまるような人にだけ人間味を感じさせられれば僕は満足なのです。実際、こういう考えをとってから多少生きるのが楽になりました。

 

(余談ですが、今回の記事、論理が崩壊している気がしてなりませんね。言いたいことを詰め込んだら筋が通らなくなるのって、僕という人間が矛盾に溢れているからなのでしょうね。ヒトは、一途で、筋を通し、それがずっと変わらないような人に惹かれる傾向があるように感じますが、それってきっとないものねだりなんでしょう。人間って皆「理性と本能」っていう矛盾のバランスをうまくとって生きているんです。どこかで矛盾のない存在に憧れているのでしょう。)

  

「裏切り」のダイナミズムは美しい

 

「人生山あり谷あり」「捨てる神あれば拾う神あり」のように、人間って個人レベルでも種全体でも均衡を保ちたがる生き物です。ラッキーでもない限り、ローリスクならローリターン、ハイリスクならハイリターンです。つまり、期待が大きいほど裏切られたときのショックが大きいのです。永遠を誓った恋人や一番の味方であるはずの家族など、裏切られた相手によっては何十年も立ち上がれません。それを想っても尚、その美しさ故に「友達以上の相手には期待して良い」と思います。

 

それがどれほど先であれ、思い出は美化されるのです。だから貴方はひどい裏切りに遭ったら、思い切りその感情に溺れて良い。もがき苦しんで良い。無論、大きなショックを受けた時にこういうことを考えられる余裕がないのは百も承知です。それを分かっててなおこれを言うのは、マイナスの感情に支配された人というのは美しくて惹かれるからです。重く、冷たい感情に一途であることは人の美意識に働きかけ、注意を向けさせるのに十分なのです。

 

 いかがでしたでしょうか。他人に期待しない、なんて皆が考えたら世の中つまらなくなるな、と思います。自分の中で予めラインを決めておけば存分に期待していいんじゃないでしょうか。人間として生まれたいじょう、人間味を失わずに生きていきましょうよ。

 

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