天然水の水割り

共感と批判と肯定と否定と受容を求めて綴ります。

ひとに面白がられるには「アクション」ではなく「リアクション」だ

最近、沢木耕太郎の『旅する力』という本を読んだ。これは同著『深夜特急』の外伝的なもので、深夜特急の旅に出たいきさつや後日談、彼にとっての旅とは一体何か、などが書かれている。なかなか面白く、学びも多かったのだが、その中でもある一文が僕の心を揺さぶった。

 

  重要なのはアクションではなくリアクションではないか。どんなに珍しい旅をしようと、その珍しさに頼っているような紀行文はあまり面白くない。たとえ、どんなにささやかな旅であっても、その人が訪れた土地やそこに住む人との関わりをどのように受け止めたか、反応したかがこまやかに書かれているものは面白い。

 

世界一周中の様子を写真つきでSNSにアップするひとたち、特に「キラキラバックパッカー」などと揶揄されるひとたちに何も感じないのはこのせいだと思った。キレイな風景や旅仲間との写真、どこに行ったかを書き連ねるだけでは人の心は動かしにくいのだ。

 

例えば、アクションだけが書かれたツイートでいいねを貰うには、南極を冒険したり、キルギス遊牧民になったりと、相当ぶっとんだ内容でなければならない。しかし、道端のたんぽぽを観察したり、昼下がりにコーヒーを淹れるだけでも、リアクションが面白かったらいいねを獲得できるのだ。

 

その土地で何をして、今の自分がどう感じたか。一つ一つの受容をじっくりと内省したうえで、これらをアウトプットする。そういったものが面白がられるのだ。

 

窓の外を見たり、なにかほかのものを見るとき、自分がなにを見てるか分かるかい?自分自身を見てるんだ。ものごとが、美しいとか、ロマンチックだとか、印象的とかに見えるのは、自分自身の中に、美しさや、ロマンスや、感激があるときにかぎるのだ。目で見てるのは、じつは自分の頭の中を見ているんだよ。

 

広く深い内省、即ちリアクションに繋げるために、僕は本を読みたい。

つねづね、人というものは本能・経験・育った環境・遺伝子の四要素で決まると思う。なかでも経験・育った環境は、先人達が紡いできた歴史なしでは語れない。それは例えば、日本人という視点から僕を語ろうとしたとき、鎖国第二次世界大戦、もっと遡れば室町文化や国風文化の知識が必要になってくるのと同じように、どこかを旅しようと思ったら、旅先での受容と内省を豊かなものにするために、その国の地理歴史に関する本を読んでおきたいのだ。そして、このことが帰国したあと旅について誰かに話したとき面白がってもらえる要因になるなら一石二鳥であろう。

 

沢木耕太郎は『深夜特急』の旅を26歳で終えた。僕は以前より、彼と同じような年齢、同じようなルートで旅をして、「新・深夜特急」のようなものをインターネットかなにかに書きたいと思っている。しかし、こんなことは誰もが思いつき、既に何人もやっているだろう。個性を出し、人に面白がられ、僕自身も面白がるにはリアクションなのだ。一つとして同じ旅はないが、面白い旅のため、豊かなリアクションのため、僕はまず本を読み漁りたい。

 

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