天然水の水割り

共感と批判と肯定と否定と受容を求めて綴ります。

無料のランチを食べられる店には「恐怖」が渦巻いていた

貧乏飯、といえば何を思い浮かべるだろうか?
 
大学生をしていた頃の僕にとってそれは納豆ごはんだったし、高校生にとってのそれはサイゼリヤのミラノ風ドリアかもしれない。社会人にとっては自家製のサンドウィッチかもしれないし、中学生にとってのそれはコンビニで買ったホームランバーかもしれない。
 
日本とワーホリでは貯金の難易度が違った。シフトは思うように入れてもらえないし、家賃がかかる。半年前まで親の仕送りと奨学金に助けてもらっていた身としては、こっちに来てからというもの何から何まで一人で遣り繰りするようになったので、ようやく一人立ちしたようにも思う。
 
貯金をするために僕は、日本でやっていたように食費を削ることにした。それが一番簡単で手っ取り早く、かつ効率的だと思ったからだ。じっさい、ふにゃふにゃのホットドッグとゴムみたいなパスタだけで飢えをしのぐようになってから目に見えて口座の残高は増えていったのだが、始めて一か月足らずで友人から「あれ、最近痩せた?」と 言われてしまった。どうやら以前に比べて二重瞼がくっきりとなり、輪郭もシャープになったらしい。
 
やれやれ、光あって影がある、というのは一つくらい例外があってもいいものなのに。両親の遺伝のせいか、痩せやすいうえに食べても食べても太らない体にはさんざん悩まされてきた。憎んだときもあった。高校時代はウエイトトレーニングがただのトレーニングだったし、大学時代は白米を一日五合食べていたので食費を削ったところで意味がなかった。さもないと痩せてしまうのだから、仕方ないじゃないか。
 
そうか、痩せてしまったか。食生活の偏りのせいかお通じも悪化していた僕は良い機会だと思い、以前インターネットで見つけて気になっていたカフェを訪れることにした。NPOにより経営されているこの店は、なんでも毎日無料で日替わりのランチが食べられるらしい。ここなら栄養がきちんと摂れるしだろうし、何よりお金がかからない。都市移動を再来週に控え、仕事を全て辞めていて時間がたっぷりとあるので、この時点で僕は毎日通うことを決心していた。
 

 
 翌日、職がないニートらしく昼前に目覚めた僕は、久しぶりにワクワクしていた。たぶん、根拠もなしに、メルボルンの憎たらしさを打ち消す何かがそこにあるんじゃないかと期待していたのだと思う。街の雑踏が遠くに感じられた。
 

 

 その店はシティ内の裏路地にあるのだが、一歩その通りに足を踏み入れると空気が重たくなった。あちらこちらで清潔感のない男女が煙草を吸っていた。僕は怖かった。たぶん、事前にインターネットで口コミを見たせいだ。ホームレスが多いとか、メルボルンの闇を覗けるとか、そういうのに囚われていたのだろう。

 

ゆとりをもってテーブルとイスが並んだ店内は、これまた清潔感のない人でごった返していた。これまでメルボルンで行ったどのカフェやレストランよりもうるさかった。「品がない」とはこういう状態のことを言うのだろう。小学生の給食なら微笑ましいのだが、いかんせん年上の、それも外国人にされるとたまったもんじゃない。ずっと怖かった。

 

空いている席に座り、改めて周りを見回すと、客はオージーばかりだが働いているのはアジア人ばかりだった。おそらくボランティアだろうに、なぜ彼女達はここで働くことを選択したのだろう。英語力を身につけたいが、普通の仕事が見つからなかったからだろうか。うまい賄いがでるからだろうか。ボランティアというものに何かしらの思い入れがあるのだろうか。

 

近くにいた韓国人っぽい、整った顔立ちの女店員を呼んだ。アジア人の客が珍しいのか、僕が日本人だとわかると彼女は、一瞬驚いた後に顔を綻ばせた。注文のシステムは事前に調べていたので、なんなく日替わりランチを注文できた。

  

 

 吉野家の牛丼なみに素早く運ばれてきた日替わりランチの内容は、写真の右からスープ・メイン・デザート。無料という言葉に踊らされてハードルを低くしていたせいか、僕がバカ舌のせいかわからなかったが、ミネストローネは美味かった。何一つ具が入っていなかったが、とろんとしたスープの舌触りと多少かったるく鼻を突き抜けたトマトの香りだけで十分に味わうことができた。

 

メインの皿に乗っていたのはグリンピースとソーセージ、ポテトサラダで、全体的に味が薄かった。この店のキッチン担当はミネストローネに力を入れすぎじゃないか、と思うほど味がしなかった。食感と素材の味しか感じられず、苦し紛れにミネストローネで流し込んだ。

 

はじめ唐揚げだと思っていたそれはデザートだった。口に入れるとぐにゃりとして、予想に反した味と食感だったため少し吐きそうになった。食において、悪い方向に期待を裏切られるのは初めてだった。フルグラをぐちゃぐちゃして練り固めたような料理だった。牛乳に浸って、柔らかくなる前にシリアルを食べる派の僕としては最悪だった。見た目も悪いしね。デザートというのはコース料理の中で一番見た目が大切で、期待に沿った味と食感であるべきなのかもしれない、と思った。

 

 
食後にはカプチーノがでてきた。セブンで買うのと同じ容器に入った、同じ味のものだった。見慣れたものが意外な場所とタイミングででてきて、不思議と落ち着いた。それにしても、どうしてセブンのコーヒーが無料で飲めるのだろう。そしてそれを知る人が少ないのはなぜだろう。客がホームレスチックなオージーばかりなので、誰も近づこうとしないからか。この店自体が「世界一住みやすい街」メルボルンにとって知られたくないもので、なんらかの圧力がかかっていて拡散されにくいからか。だとしたらなぜセブンはそんな店に協力しているのだろう。社会貢献か?イメージアップか?
 
答えが出ないまま、店をあとにした。 
 
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はじめからおわりまで、ずっと怖かった。たぶん、口コミを事前に見たことが、現場の雰囲気に飲み込まれるのに拍車をかけたのだろう。口コミが僕にとってプラスに働いたことはないが、いくらでもマイナスを増大させ得るのだと知った。それと、メルボルンに来てからはじめて「面白い」と思った。街で見かけるホームレス達は、こういうところで生かされているのだ。同時に、それならば金を乞われたところで与える義理も人情もないな、と思った。ホームレスと同じところでご飯を食べる僕が、どうして彼らに金を渡さないといけないのだ。
 
とにかく、そこには「世界一住みやすい街」というイメージとは真逆の重々しさがあった。
 
 
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